1951年春 京都
戦争が終わって6年 今日の町は他よりは被害が少なかったとはいえ、いろいろな戦後の混乱を乗り越えてきました
東山にあるうちの実家は料亭です。
料亭の生まれですがうちは今ホテルの厨房につとめてます
ネタバレ含む感想
ながたんと青と──とは?
いきなりネタバレですが
ながたん→京ことばで包丁のこと
長いからかしら?と思ったらweblioで調べてびっくり。色々な地方での方言として掲載されてましてそのうちの一つ高松の方言にのってましたよ。
包丁(ほうちょう)。昔,調理用の刃物に「菜切り包丁」というのがあったが,それを略して「菜刀(ながたな)」といった。多分,そのなまりであろう。
さらに面白いことに但馬方言で
ですね。
私にはもう実家はないけどながたんうってみたい。
青とは京言葉で青唐辛子のようです。
主人公いち日はホテルで働いています。
いち日(卵白だけをかき混ぜて 溶いた卵黄を入れてさっくり混ぜる トリュフバターを溶かして 泡立てた卵をフライパンに フライパンをつねに動かしながら 焦げないように蒸し焼きに 折り返して 皿にのせて )
いち日「はい!トリュフ風味のオムレット・ノルマンヂー風」
オムレット・ノルマンヂー風!!とはやはり、これでしょうかね。
オムレット・ド・ラ・メール・プラール(Omelette de la mère Poulard)

世界遺産モンサンミシェルで食すことができる、かの有名な。。(けど案外、それほどでもない味なことを楽しむのが通とも)
いち日の仕事はアントルメティエ(前菜係)、スープや卵料理も含めてメインの前の前菜を担当しています。
スクランブルエッグを注文されてきめの細かいクリーム状のウーブルイエを出し、、、

↑タサン志麻さんのウッフ・ブルイエ(フランス風のスクランブルエッグ)
アメリカさんにはケチャップを一口食べる前からケチャップかけられてショックを受けるが、もっとはやく色んなアレンジをした料理を日本の人に食べてもらえたらなぁと思いながら仕事に励む。
翌日の朝食の当番がない日は実家に戻る。
実家に戻り、給仕の手伝いをするいち日。
挨拶をしても料理長の戸川は完璧に無視する。
そこで料理の食べ残しが多いことに気付く。
店を継いでいる妹のふた葉と仕事終わりに二人で晩酌。
空腹を感じ、いち日は腕をふるまう。
椀物に使った鯛の骨に小麦ふすまをまぶし、揚げ焼きに、それに塩をして鯛の骨せんべいの出来上がり。
鯛の骨せんべいを冷えた玄米ご飯にのっけて温めただし汁と刻んだネギと揚げたウドの皮をのせてお茶漬け。
大満足で人心地つくふた葉から見合いの話をきく。
大阪のホテル山口家の次男との見合いで、政略結婚だ。
料亭がうまくいっていないことを心配するいち日だった。
見合い当日
内装は古臭くてがっかりだし、料理の腕も落ちたと聞いたと、見合い相手の次男坊が話をしているのを聞いてしまういち日とふた葉。
だが、見合い相手は次男ではなく三男、19歳の周だった。
周「ええ所ですね、場所は。しかしこのしつらえ、手入れが行き届いていないみたいですね。戦後6年もたつのに内装がまだこんなですか。大阪はだいぶ進んでますよ。京都はまだ戦争前みたいですね。」
いち日「そんなんいうんやったら山口さんのホテル今度見に行かさせてもらいますわ。どんだけ最先端で野趣あふれた作りなんでしょおね!」
周「ええ。ぜひに。」
いち日(正直なところ2度とうちの敷居をまたいでもらいたないわ)
翌朝、ふた葉の姿がない。
なんと料理人の慎太郎と駆け落ちをしてしまったのだ。
そこで伯母からの提案。
伯母「あんた(いち日)が結婚しなさい。旦那さんが死なんかったら元々はあんたが店を継ぐ予定やったんやし」
いち日(う・・そやろ)
感想
はじめてみる作家さん。
可もなく不可もなく――でも、料理の絵はとにかくおいしそうなんです。
ただ、初回で「真似できそう!」と思ったレシピは、残念ながら一つもありません。
- トリュフ風味のオムレット・ノルマンディー風
- ウーブルイエ
- 鯛の骨せんべい
- お茶漬け(でも具材が豪華すぎ)
…我が家の冷蔵庫にトリュフバターなんて当然ありませんし、スーパーで探したことすらない。鯛も家庭用に買ったことがないし、揚げ物もしない。生クリームだって年に一度使うかどうかです。
つまり、主人公・いち日が軽やかに仕上げる“夢のレシピ”を、私はただただ眺めて食欲を刺激されるわけです。
でも、不思議と「次は自分にもできそうな一品が出てくるかも…」と期待して、ページをめくってしまう。
これこそ、料理漫画の魔力なのかもしれません。
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