昇段
詩題窓外竹茶煮石根泉
詩は題す窓外の竹 茶は煮る石根の泉
詩を書くには窓のそばに生える竹を題とし、茶を煮るには岩間を流れる清水をくむ。
久しぶりの習字教室に行きましたら無事、昇段とのことでした。
去年の12月、書初め課題は師走だというのにこれまでで一番頑張ったかいもあり昇段していました。
ただ、、その頃は母は他界する一か月前ということで本当に体調も悪かったはずです。
そんなことも知らずにのんきに習字をしていた自分をすごく後悔しています。
幼稚園終わり次第すぐ帰省はしたものの、電車に乗り、飛行機二回乗り継いで、そして高速で一時間かけて帰らないといけないほど遠い故郷に、母を一人過ごさせてしまったこと後悔してもしきれません。
母の葬儀や、初七日がおわり少し落ち着いたころに夫の待つ家にもどりそれから昇段のことを知ったのですが、せめて昇段していてまだましだったなぁと思いました。
そして昇段のチャンスの七夕課題だったのですが、前回の書初め課題と比較して自宅練習も数えるほどしかできず、これはちょっと厳しいかなと思っていたのですが昇段していてちょっと驚きました。
それでも嬉しくて、自宅に帰ってから何度も眺めていました。
・・・・下手ですね。
人に聞かれてもまず、二段です!とは答えないでしょう。
まぁ書道、習字の段級位というのはそれぞれの団体で認定するものなので
書道をしている人なら、実際にどんな字書くのか、というので判断するのでしょう。
母は、五段に上がって数年たっていても
(6~8段は毎月の課題を提出で上がるものではなく、
昔は各地にある試験場まで行って受けに行くような敷居の高いものでそういうことに興味がなかったため未受験だったようです。※今は自宅受験が可能です)
「ほんっとへたやわぁ」と首をかしげていました。
私からみたら本当に上手だったのですが、少しその気持ちがわかるようになってきました。
たまに自宅練習して主人にこれどう?と尋ねると
「うまいと思うけど」
と答えます。もしかすると私からの無言のプレッシャーを感じてかもしれないけど。
ただ書いている自分からすると、この線が汚い、ここバランスがおかしい、とかあちこち
悪いところが気になります。
習字の先生は
「腕が上がってくると、自分の今書いた字のどこがおかしいのか自分で気づくようになる。
だから納得できる一枚というのがなかなか仕上がらなくなるのよ。
でもそれも一つの上達だから」
なるほどなぁーと思いました。
それから自分でもお手本と見比べてどこが悪いのか考えているのですが
先生に「ここが変ですよね?」ときいても
「そこはそれでいいけどそれよりこっちの方が・・・・」
ということもよくおこります。
まだまだ、目は肥えていないようです。