池井戸潤さんの最新長編『ブティック』、聴き終わったばかりで記憶が新鮮なうちに感想を残しておきます。
どんな話?
タイトルから「ブティック」=洋服屋さんの話かと思って聴き始めたら、全然違いました。「ブティック」とはM&A業界の用語で、企業の買収や事業承継を専門に扱う少数精鋭のアドバイザリー会社のことでした。
(余談ですが、報道ステーションやカンブリア宮殿でよく見る「ライオン社長」のCM——選ばれる理由があります。のあれ——を展開している「M&Aキャピタルパートナーズ」も、業務をM&Aに100%特化しているという意味では「M&Aブティック」に分類されるそうです。作中のランパス東京のモデルというわけではありませんが。)

主人公・雨宮秋都は東京中央銀行の入行3年目。取引先ヤエスパワーの企業評価額を不当に下方修正しようとしたM&Aアドバイザリー部の利益相反行為に義憤を感じ、社内秘の資料を開示したことで訓告処分を受けます。辞職を考える中で、倒産寸前だと思っていた取引先のカフェが、M&Aアドバイザリー会社「ランパス東京」の手によって存続を果たしたことを知り、転職を決意する物語です。
全くなじみのない業界の話で、すごく新鮮でした。若きエリートたちの世界を垣間見る、独特のかっこよさがありました。
その、秋都が最初に転職を意識するきっかけになった取引先のカフェが「コピ・ルアク」。日本橋の裏通りにある創業30年のお店で、店名はインドネシア語で「ジャコウネコ・コーヒー」を意味しています。実際にジャコウネコが食べたコーヒーの実の種子を、消化される過程で発酵させて作る、世界的に希少で高級なコーヒーとして知られる豆です。

スターバックスとTSUTAYAの併設や、無印良品の中にカフェが入ってたりと、今や「書店にカフェが併設されてる」のはすっかり見慣れた光景になりました。ただ、個人的には急ぎでなければ併設店では買わずにオンラインで注文しちゃう派です(笑)。作中のコピ・ルアクみたいな、個人経営の味のあるお店にはまた別の魅力があるんだろうなと思いつつ。
良かった点
- 銀行員視点からM&Aアドバイザリー業界に飛び込むという設定が新鮮で、業界の裏側を覗く面白さがあった
- 転職が成功してランパス東京への入社が認められたとき、坂崎から秋都に手渡される「トゥームストーン」と呼ばれる記念品も印象的でした。ワインのハーフボトルほどの大きさで、アカデミー賞のオスカー像にどこか似た、小さな灯台とそこから放たれる光をモチーフにしたオブジェです。作中の説明によれば、M&A案件が成就したときにクライアントに渡す記念品を指す業界の俗称なのだとか。
- ちなみに会社名の「ランパス」は、ギリシャ神話の「迷える者を光で導く精霊」から取られてるいそう。トゥームストーンを渡す際に坂崎が秋都にかけた「暗夜を照らす、星になれ」という一言(本の帯にもあるキャッチコピー)、ちょっとクサいけどドラマとしてはかっこよかったです。

- 池井戸作品らしく、恋愛描写ほぼなしというかなし。元同僚の内藤莉央、転職先で出会う水原栞、どちらもヒロインポジションになりそうな配置だったのに、最後まで恋愛要素に流れなかったのは現実的で好印象。
微妙だった点(正直に)
- 悪役サイドの裏切りの動機が、正直「そんな簡単にやる?」と疑問だった。特に序盤、東京中央銀行アドバイザリー部の担当者が、年商300億円規模の中堅企業・ヤエスパワーの情報を手土産に、買収を有利に進めさせようとする展開。年商300億円企業を相手に、周囲の監視の目もあるはずなのに、個人の手柄のためにそこまでやるものなのか……という疑問は最後まで拭えませんでした(専門家監修が入ってるらしいので、業界的にはあり得る話なのかもしれませんが)
- スイミーキッチンというサブエピソードの必要性にも少し疑問が残りました。あの規模の会社が、ボランティアでもない顧問料でどれだけの成果を出せるのか、費用対効果が見合うのか気になってしまって
- 主人公の雨宮秋都、正直それほど活躍しない印象でした。最終章なんて、彼がいてもいなくても結果は変わらなかったのでは……と思うくらい。ただ、新人社員があの規模のM&A案件で大活躍するのも非現実的なので、これはこれでリアルなのかもしれません。ぜひ続編で成長した秋都の姿を見たいです。
リアルに置き換えると
実は、この作品の執筆動機自体が実話に基づいています。池井戸さんはインタビューで、中小企業のM&Aの現場で、会社を売却した経営者が高額な仲介手数料で利益の大半を失ったり、売却時の「表明保証」が無期限・無制限という不合理な条件で契約させられたりする、悲惨な事例を実際に耳にしたことが、この作品を書くきっかけになったと語っています。特定の企業がモデルというより、「中小企業がM&Aで食い物にされる」という構造そのものが、今も現実に起きている問題なんですね。
作中に登場する「アクティビスト」(物言う株主)というのは、実在する投資ファンドの動き方がモデルになっていそうです。日本だとエリオット・マネジメント、オアシス・マネジメント、村上ファンド系列などが有名で、経営陣に増配や事業売却を積極的に要求するタイプの投資家を指します。
実は私も、数年前から株式投資をしていて、サンリオ株を少し保有しています。株を始めた当初は利益目的で短期売買もしていましたが、そうやって持っていた会社に愛着なんて一つもありませんでした。
でもサンリオは違います。子供の頃から大好きで、生まれ育った町の小さな雑貨屋さんに、用がなくても毎週日曜日に通ってサンリオグッズを眺めていたくらいの筋金入りのサンリオラバーでした。大人になった今、身につけたり買い物をしたりすることはほとんどなくなりましたが、それでもサンリオを見ると心が和むし、あの頃の懐かしい気持ちがよみがえります。店舗にたくさんの人が入っているのを見ると、「サンリオを愛する同志がこんなにいるんだ」と嬉しくなってしまうくらいです。

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だから今、株主としてサンリオを応援できていることが、本当に嬉しい。愛してるからこそ、ずっと繁栄してほしくて持ち続けて、応援し続けている——これが本当の意味での「株主になる」ということなんじゃないかと思っています。
作中に出てくるような、物言う株主の短期売り抜け作戦は、極端に言えばただのマネーゲームです。そうではなく、自分が本当に愛してる、応援したい会社の株主でいる——それもまた、株式投資のひとつの形なんじゃないかと、この本を聴きながら考えていました。
一方、作中で問題視されていた「M&Aアドバイザリー部の利益相反」——本来売り手の利益を最大化すべき立場が、裏で別の思惑を持って評価額を操作してしまう構造——は、身近な例で言うと不動産業界の「両手取引」に近いものがあります。1つの不動産会社が売り手・買い手の両方を仲介して両方から手数料を受け取る仕組みで、売りたい人は高く、買いたい人は安く、という相反する利害を同じ会社が取り持つことになります。

これを意図的に狙って情報を囲い込む行為は「囲い込み」と呼ばれ、長年業界の悪習とされてきました。国土交通省も2024年に規則を改正し、2025年以降は囲い込みが確認されると行政処分の対象になるほどです。ランパス東京が「利益相反になる仲介取引を一切行わない」と明言してる姿勢は、こうした現実の業界課題への一つの理想形として描かれてるのかもしれません。
どんな人におすすめか
銀行・M&A・転職業界に興味がある人、池井戸作品らしい「組織の中で戦う人間」の話が好きな人におすすめです。恋愛要素を求めてる人には肩透かしかもしれませんが、それも含めて現実的な会社員の話として楽しめました。
池井戸潤さんの最新長編『ブティック』、聴き終わったばかりで記憶が新鮮なうちに感想を残しておきます。
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